にわか考古学ファンの独り言(縄文時代)

 はじめに

 私は奈良大学文化財歴史学科(通信教育)を履修したものです。その中で考古学に興味を持ち、特に縄文時代について勉強を始めました。

 縄文時代は農耕に頼ることなく、1万年以上にわたって狩猟採取の生活文化が持続しました。そして、縄文時代ほど長続きした豊かな狩猟採集民文化は、世界史的にみても他にありません。私はこのような縄文時代に大変興味を持ち、自分の勉強の成果と恐れ多くも縄文マニアを増やそうと思い、ネットに配信しようと思いました。

 文章の構成としては、学術的ではなく解りやすい文章を心掛けました。興味があれば読んでもらえれば幸いです。また、ネットに配信しようと思った最大の理由は、現代社会を覆っている三つの病巣(自然災害、コロナ禍、戦争)についての解決策が、縄文時代を研究することによって見えてくるのではないかと思ったからであります。1万年以上にわたって持続した縄文人の知恵は、私たちに勇気を与えてくれるかもしれません。 

 私は考古学の専門家でも、考古学に造詣が深い人間でもありません。ただのにわか考古学愛好家です。間違ったことや拙い表現が多分にあると思います。そこはご容赦願います。

 縄文時代の位置づけ

 まずはじめに縄文時代をどうとらえるかですが、農耕牧畜の開始、定住化と都市の形成、そして文明化を人類の歴史発展の必然性と考える立場からみると、古代文明を生み出した地域こそが、世界史の最先端であったと定義することになります。それに対して1万年以上の時間が経過しても都市や階級、王国を生み出さず文明に到達しなかった縄文時代は、いかにも停滞的で遅れた「原始社会」であったと思われます。

 農耕牧畜開始の経済的意義を強調するこれまでの学識的な歴史観では、そのような評価が当たり前だったかもしれません。しかし、農耕牧畜を早くから開始した地域というのは、大体、北半球の旧大陸の中緯度にあたる乾燥地帯であり、狩猟採集だけに依存して生活することが困難だったところです。小麦を栽培したり、ヒツジや牛を飼いならししたりして乳や肉を得なければ、社会の存続がむずかしかったはずです。また、ナイル河やチグリス河のような大河、あるいはオアシスのような水源がなければ、存続しえなかったのが、農耕を経済基盤とした文明社会であります。その点、縄文文化の場合は、農耕牧畜なしに自然の資源を巧みに利用することで、非常に長期にわたって持続してきた文化といえます。気候変動や自然災害による危機的状況を何度か繰り返しながらも、自然との共生関係を維持しながら、列島の環境への適応を深め、独自の生活文化を築いた時代であったといえるでしょう。

 食料の生産力という経済指標だけで文化、社会の優劣を語ってほしくない、というのが私の思いであります。西洋文明を人類史の最高到達点と考えた古い歴史観ではなく、人類の歴史はただ一つの決まったコースだけを進んできたわけではないのだという認識を持ってほしいと思います。その点、縄文文化を研究することによって、歴史の新たな方向性が見えてくるかもしれません。

(参考文献)

谷口康浩「世界史からみた縄文文化」『入門縄文時代の考古学』同成社、2019年